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一周忌

前回の更新からまたまた、すっかりご無沙汰してしまいました。

書き留めたい事は諸々あったんですが、何故かパソコンの前に座る気になれず
明日、明日と思ってる間に3ヶ月が過ぎちゃいました。
その間も訪問くださってた皆様ありがとうございます。

今日、主人の一周忌法要をしました。
主人の姉家族3人、私の兄家族3人、主人の幼なじみのN君が出席してくれました。

ちょうど一年前の今日でした。
「こんなに寒い季節だったんだ。」と今になって思います。
あの時、寒さなんて感じる余裕もなかったのかなあ。

四十九日法要の時は主人が遠くに行ってしまう気がしてずっと泣いてました。
あれから.....
主人の事を忘れた日は一日も無いけど
季節が巡ってまた冬をむかえる頃には1人の生活も少し慣れてきて、
時々は淋しかったり、通勤電車で涙が止まらない事があったりしながら
日々の生活を楽しもうと頑張ってました。
頑張らないと楽しめないから、無意識に辛い気持ちに封をしてた感じです。

それが、一周忌の準備をしだしてから封がはがれました。
同じ季節になって明らかに思い出しました。
最後の日々、だんだん身体が動かなくなって瞬きさえできなくなって...
その前に救急車で運ばれた時から、更にはその前の手術後から
主人にとっては地獄の日々だった。
あの時の私は目の前の事で精一杯だったけど、今思い返すと心が壊れそうなくらい辛いです。

なんで主人があんな目に遭わないといけなかったんだろう。
なんで私1人で生きてるんだろう。

1人の淋しさは泣けばやり過ごせるけど、
その事は泣いても泣いても私を責め続ける。

でも、今日は人前では明るく振る舞って泣きませんでした。
やっぱり、ここでしか話せない。

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元気ですよ〜

また2ヶ月経っちゃいました。
長かった夏も終わり、肌寒い季節になりました。
主人の不調は2年前のこの季節から始まりました。
10月の下旬から歩くとふらつくと言って、病院で検査を受けてました。
そして11/8に入院......
そこから先は思い出すのが辛いことばかりです。

最近続けて2回主人の夢を見ました。
1回目は夢の中で主人の夢を見た夢でした。(ややこし)
でも嬉しくて、お仏壇に朝お礼を言いました。
2回目は1つの傘に2人で入ってて、私は濡れないようにピッタリ身体をよせて歩いてる夢でした。
夢の中ではすごく幸せな気分で。

現実の私は....
なんとなく悲しみから逃げる技を身につけました。
逃げても追っかけてくるけど、
ふっと路地に隠れて行きすぎるのを待つって感覚です。

とにかく忙しくしていようと
仕事も頑張って、約束いっぱい入れて、ジム通いも再開して。
特に興味も無かったけどボイストレーニングをはじめてみたり。
時間があるから色んな人とお付き合いできるようになりました。
疎遠になってた学生時代の友人や、会社の違う部署の人とか。

この2〜3ヶ月の間でも心の変化はあります。
色んなことを記録するためにも、もうちょっとブログ更新がんばろ。

  *そろそろブログの説明文変えないといけないですね...

ご無沙汰しております。

すっかりご無沙汰してしまいました。
2ヶ月も更新してませんでした。

なんだか、パソコンに向かう気にならなくて.....
その間ものぞいてくださった皆様ありがとうございます。

元気でやってます。
(外では元気です。家ではメソメソしてます。)
毎日仕事に行ってます。
1人の生活も少しづつペースがつかめてきたかな?
でも、やっぱり主人がいるときと比べたらモノクロの世界にいるようです。

8/11には実母のお墓参りに広島に行きました。
お盆の帰省ラッシュで新幹線の駅は家族連れがいっぱいでした。

主人の初盆も済ませました。
お供え膳用に主人が好きだった南瓜の煮物を作ってる時、
久々に主人の為に料理をしてる気分になって少しうれしかった。

楽しい事が無い訳じゃないんです。
友人がいるし、仕事仲間もいるし。
たまに食事に行ったり、飲みに行ったりします。
気晴らしに買物したり。

こうして淡々と日々を過ごして、年を重ねていくと
いつか迎えに来てくれるのでしょうか?
そしたら、又話ができるのでしょうか?
今はいくら話しかけても、呼んでも、泣き叫んでも出て来てくれません。
お盆に帰ってきてくれたのかどうかも見えませんでした。

今、わかりました。
こんな事しか書けないから、PCに向かえなかったんだ。
ゴメンナサイ。

母の納骨

6/15の土曜日に実母の納骨に広島県まで行ってきました。
昨年亡くなった従姉妹の一周忌でもありました。
土曜の広島県は大雨でした。

母の実家のお墓に入れてもらいました。
離婚して旧姓に戻っていた母が生前、まだ元気な時に田舎と話をしていたそうです。
お葬式のときに、もし私が良かったらそうしたらどうかと言われました。

私達夫婦には子供がいないので、そうしてもらう事にしました。
母も実家の祖父母や兄弟と一緒で賑やかでいいかなと。
多分、母は私に負担をかけない様に決めていたんだと思います。
遠いのでしょっちゅうお墓参りに行く事はできませんが、
仕方ないです。

遺骨はどこにあっても母は私の中にずっと居てくれます。

そう言えば、母は主人ととても仲良しでした。
3人で暮らしている時は、夕食後私が片付けをしてる間に
よく2人でラブの散歩に行ってました。

母が認知症になって施設に入ってからのノートに
「○○さん(主人の事)早く帰ってきてください。待ってます。」
と書いてありました。
その時はなんで私じゃなくて主人なんだろうと思いましたが、
今考えると、今の状態を暗示してる様に思えて来ました。

3人家族が私ひとり取り残された感じです。
2人に会えるまでは精一杯生きていくしかないですね。
自宅にあったノートには母はこんな言葉も書いてました。
「生きる事の辛さがわかってきた。」

お母ちゃん、私も生きる事の辛さがわかってきたよ。

お母ちゃんとダーリンはこの世で充分辛い修行をしたから、
今は天国で楽しく過ごしてる?
もう辛い思いしたらあかんで。


伯母の事

母は4人兄弟の末っ子で、一番上の姉(私の伯母)とは18才差がありました。
伯母には子供はなく、晩年は母と同居していました。
明治45年生まれの「明治の女」です。

60代で夫を亡くし、母と同居をするまでは小さな旅館を独りできりもりしてました。
色んな苦労があったことは話には聞いています。

母とは顔もあまり似てなくて、性格も違いました。
母はソフトで優しい印象の人でしたが、伯母は凛とした印象の人でした。
古い写真を見ると若い頃から粋なかんじのする美人でした。

母と同居をはじめてから、食道癌が見つかり80才を過ぎてから食道を切除する手術をうけました。
手術直後はさすがに混乱していましたが、一週間もすると元の伯母にもどりました。
病院にお見舞いに行くと、しっかり眉も描いていてベッドに正座していたのには驚きました。

退院後も食事がしづらそうでしたが、そんな事にはめげずに
何でも食べようとしていたし、
旅館組合の婦人会の集まりにも参加したりしてました。
足を骨折した時は、さすがにもう歩けないかと思いましたが
見事に復活しました。

平成13年に亡くなったんですが、
明け方に看護師さんに「飴がほしい」と言い、
あめ玉をなめながら眠る様に亡くなったそうです。

若い頃から決して幸せとは言えない伯母の生き様は「明治の女」の
強さそのものです。
それは苦しみや悲しみや辛さを跳ね返す強さではなく、
それらのものを自分と同化させていくしなやかな強さだと思います。

癌だと分かっても、なんら狼狽える事はなく
癌を受け入れていたように見えました。
私は今でも年老いた伯母の「凛」とした正座姿が脳裏に焼き付いています。

それは私達夫婦はもちろん、母も到底かなわない風格がありました。
主人も良くそんな伯母の事を感心していました。

今私は、あの「凛」とした伯母とは正反対に
現実を受け入れられなくて、現実から逃げようともがいています。
癌の手術後の伯母の生きる力をみていて主人と
「見習わないといけないね。」と話した事を思い出しました。




プロフィール

ワンワンラブ

Author:ワンワンラブ
「感謝の気持ちを忘れない事」母が私に残してくれた言葉です。
母へ語りかけるつもりでブログを始めました。
突然、夫が脳腫瘍になり生活が一変しました。
夫の在宅介護の為、現在仕事は休職中です。
介護もブログも初心者です。
そして、もう1人(匹)の大切な家族ラブです。

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